主の小道
8月11日〜8月21日



主が祝福される

悪者の家には、主ののろいがある。正しい人の住まいは、主が祝福される。
(箴言三・三三)

「どうしてあげる」などという言葉にまさって、「主が祝福される」という約束は心強い。
ならば、主が祝福されるとは具体的にはどういうことか。あの安らぎに満ちた詩篇二三篇を見れば分かる。主は私たちの羊飼いであらせられる。神は悪しき者とは交わらないが正しい者と共に住まわれる。神と共に居ることに勝るものはない。
まずは乏しいことはない。若草の牧場は羊にとり何と豊かか。憩いの水のほとりは誠に休みと共に活力を供給する。何よりも主のもとに居れば、たましいが生き返る。「御名のために、義の道に導かれる」たましいの牧人が主だからだ。
道から離れれば神のむちと杖がそれをただされる。痛く、苦しいものかも知れぬが、神のいます所に導かれると知れば安心この上ない。まさに「私の慰め」である。
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」これは何と大きな自信であろう。それもその筈。「(主が)あなたが私とともにおられますから・・・。」
なぜかといえば、私たち主にある者の人生 (運命)は、恵みであふれているからである。
敵の前でも恐れることなく、食事をととのえ、頭には油そそがれると言う。信仰の告白は毎日の生活の中に溢れ、みなぎり、どこを歩んだらいいかを知らせて下さると同時に、神はその歩む力を与えられる。
こういう人の決意はと問えば、ただちに答えが返ってくる。「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも主の家に住まいましょう。」と。
(一九九一年八月一一日)

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どこから何を見るか

ウジヤ王が死んだ年に、私は・・・主を見た。 (イザヤ六・一)

ウジヤ王の死んだ年というのは、イザヤが預言者として主の召しに応じた年であった。
(八)その年に彼は主を見、自分の汚れを直視し、神のきよめの業を受けている。 (一、五、七)その結果が召命であって、預言者イザヤが本当に預言者として目覚め、二度と本質的に変わらなくなった記念すべき年でもある。
第二歴代誌二六章にウジヤ王の生涯がある。彼は若い時主を求め、神の栄えを与えられた。しかし、強くなると心高ぶり、ついに身に滅びを招いた。その死は情けないものであった。
イザヤは真実に主を見たことは間違いないが、特にウジヤ王の死の中に神の扱いを見たのでもあろう。神をほめたたえ、それを第一とする生涯は、それ自体が栄えである。神を捨てた人は神に見捨てられる。このことを絵のようにあらわしたのが、ウジヤの生涯である。そして今一つは、イザヤにとってウジヤの死は希望の星が落ちたに似ている。宮廷預言者としての彼の生涯のメッセージは、誰か実現者を得てはじめていきいきとしてくる。
イザヤにとり、この年は全てを失った失望の年でもあろう。この二つの理由で彼は自分の弱さを痛感したのであろう。
彼はこの事件を通し、神を見、神の業を見た。また自分の心象を通して人間を見る。これが預言者の出発点であったのだ。
今週、富山に行く。ほとんど通過しただけでも何度も行ってないこの地方は、イメージとしては「裏」日本だ。が、そこの人々にとって見れば、文化に向かっての表玄関だったことをつい忘れる。
人は自分の視点から好むものを見つめ、自分の意見を持つ。他は見えぬ。が、神はある時、御手によりそれをひっくりかえされる。そのことだけが救いだ。
(一九八七年八月一六日)

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「私の」福音

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。(ローマ一〇・一四)

私たちの主イエスは、福音をその弟子たちに委託されました。主イエスの伝道は、人を必要とするのです。弟子たち自身が救われた様子を見ても、例えばペテロの場合、バプテスマのヨハネはその弟子アンデレをイエスに紹介し、アンデレは兄にキリストを紹介したのでした。彼アンデレはあまり話すことはなくて、ただ「来て、見よ」とのみ言ったのでした。
伝える人の条件は、その伝える内容を良きこととして確信し、確実に相手に伝え、相手を動かすことを熱望することです。パウロはそういう人なので、しばしば「私の福音」という言葉を使いました。ローマ書二章一六節に「私の福音によれば・・・」という言い方がありますが、これは「私の福音の解釈によれば・・・」の意味です。「私が語るべきこと、ゆだねられたことと理解し、私も心から言いたいことの中心はこれであります」というのです。そう考えてみると、第一コリント一五章一〜二節がよく分かると思います。彼はこう言っています。「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」
まことにここにおいて、福音はパウロにとって重要な人格の一部であり、命がけの主題であったのです。こういう人に福音は担われてきたのです。

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素朴な反戦論

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
(マタイ二四・六)

間もなく終戦記念日がめぐって来ます。昭和二〇年八月一五日、当時一〇才だった私はその日のことはよく記憶しています。天皇の玉音放送があるとかで、律義な父は丸い藤で編んだテーブルを店先に持ち出し、紫の風呂敷を敷いてその上にラジオを置き、道行く人にも聞こえるようにしてその瞬間を待ったのです。あの有名な一言一言が聞こえて来ました。事態を悟って私は、一人で座布団にうつぶして大声で泣いたのでした。
当時この辺は戦場でした。毎夜頭上で空中戦がある。高射砲の破片で友人の兄が死ぬ。
まわりの町が一夜で廃虚となる。焼け出された子どもが一人ですすだらけで、小さな田舎町の知り合いをたずねてか、放心したような顔で家の前をトボトボ歩いていく。よく遊んだ隣の子は、亀戸へ引っ越して行って家族全員に死なれ、一人ぼっちになったと聞いた。
自分も軍人になって近所の多くの大人たちのように死んでいくのだろうと思っていたから、戦争は自分たちの戦争という実感が十分あったのだ。
人と人とが殺し合い、国が国に対して戦争をしかける時、何も戦う意志のない個人や家庭が破壊される。国やぶれて山河ありというが、原爆がある今、それもおぼつかない。
その日から一二年たった三二年四月四日、朝日新聞は詩人江口校一氏の詩「水爆よおごるなかれ」と、当時二二才の私の怒りと悲しみに満ちた曲を紙面にのせた。三八年もたつと世はあげて戦争に無関心だが、思い起こせば私の心は痛む。今もどこかで同じ事が起こっている終末の前兆の一つ。素朴に憎むべき事ではないか。
(一九八三年八月七日)

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終戦の日を想う

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。(マタイ七・二四)

自分が入学して、小学校から国民学校になり、そして卒業する前に又小学校になるという、全くの戦争小学生であった。他と変らず軍国少年そのもので「ブンブン荒鷲ブンと飛ぶぞ」と歌いながら、何も知らずはねまわっていた。自分の家の上空でB29が東京爆撃を終わって雄々と帰る姿を眺め、鷲に対してスズメのような戦闘機がどんどん打ちおとされていくのを見て、口惜しくて涙が出たものだ。東京爆撃で追い立てられて来た同年輩の子供たちの黒い顔、何をする術もなく、やがて年令が来たら軍人となって一心に働こうと決意するばかりであった。
大本営発表のニュースでは我が軍が勝っている筈なのに、そうは見えない。そんなある日、夾竹桃が真っ赤に咲き蝉が鳴く夏のある日、天皇の玉音放送があった。昭和二〇年八月一五日だった。
天地がひっくり返った。父親が店の外のテーブルに紫の風呂敷を敷き、その上に乗せたラジオから聞こえてくるのはおなじみのあの天皇の声。子供ながらにア然とし、家に入ると座布団をひっぱたきながら口惜しくて泣いた。口惜しくてもどうにもならぬ戦争参加であった。
短絡的だが、戦時下に一小国民としては、これが人生の大目的なのだった。目の前が真っ暗になり、どうしようか迷って皆の顔を見つめ、途方に暮れた。これからどう生きるのか。・・・。やがて、かっての敵軍が進駐して来て、まわりが一気に変わる。
四年後、宣教師を通して福音を聞く。そして今の自分に。
戦争責任についてまともに考えるようになったのは、人間としてまともに考える様になり、聖書を知ったずっと後の事だ。これでも小さな戦争証言者なのである。
(一九九五年八月一三日)

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神の知恵で生きる

私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。
(第二テモテ二・七)

ここにはクリスチャンの聡明が書いてあります。私たちはこの世にあって聡くあるべきです。力でこの世を圧倒するものではありませんが、不思議に、おりにかなって美しい知恵を持っているものです。これは神の御霊が私たちに教えて下さるのだと思います。反対する者に捕らえられ、弁明しなければならない時、口を開くとそこに言葉を与えてくださるご聖霊が、その時々に必要な言葉を知恵に従って発することができるようにして下さいます。
この知恵は「すべてのことについて」であります。純粋に霊的な事柄ばかりでなく、人との交わりや仕事上の知恵、およそ生きるに必要なすべての知恵と考えてよろしいでしょう。このように神に祈って知恵を与えられる習慣というものは、私たちを霊的に成長させるよい機会になるでしょう。私は若い頃、何事によらず知識に偏重しがちな人間でしたが、ある時自分の所の神学生がストーブの修理をしている時、せまくて手のとどかない所にビスが一本入り込んで困っている所に出くわしました。私も見て途方にくれましたが、彼は突然静かに祈りはじめたのです。そしていつの間にかそのビスを手に持っていたのでした。
私は一種荘厳な思いでそれを眺め、以来忘れ得ぬひとこまとなったのです。「生きている」信仰とはこういうものかな、と思ったものでした。
人間は決断の連続です。その質の高さが人生を価値あるものとします。しかし、クリスチャンはよく考えたら必ず全てのことに理解する力を与えられる・・・という約束は、私を強めます。途方にくれた時、知恵の主たる神の前に静まり得る特権。これは何にも変えられないものです。
(一九八六年八月一七日)

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キリストの言葉と賛美

詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
(コロサイ三・一六)

同じ主旨のことがエペソ書五章一九節に次のように書かれています。「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」賛美がクリスチャン生活において重要な一部分を占めていることが分かります。それゆえに、もし間違った使い方をすれば、その人の生活の質も変わりかねないものでもあります。
この教会でも、牧師の重荷でもありますが、有志夫妻の祈りと犠牲によって、ここ一〇年間、アーベント・ムジーケン(夜の音楽会)が続けられてきました。
これは聖歌や聖曲であるなしにかかわらず、神の賜った音楽というものにクリスチャンやその子弟たちが親しみ、最後には本当に聖別された教会音楽が礼拝やクリスチャン生活をうるおしていくように、という願いがこめられてであります。今日がその一〇回目となります。
コロサイの教会にあてたこの聖句の前後を見ると、教会が音楽を扱う場合に注意しなくてはならないことが書かれています。
それは賛美の土台としてのキリストの言葉ということです。音楽に酔ったようになり、励まされても駄目です。エペソ五章一八節にはそれが書いてあります。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさいと。
聖霊は聖書の言葉を示し、キリストが主であることをはっきりとあらわすお方です。
キリストの言葉をはっきり理解し、知的な信仰の告白を賛美する事は真に重要です。主の言葉が私たちのうちに住み、智慧を尽くしてお互いに教え、互いに戒め合う。こうしたみ言葉中心の信仰生活が働いて力あるということは注目に値します。曲や音色、賜物に酔ってはなりません。
(一九九一年八月一八日)

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主に見つめられて

・・・マタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。
すると彼は立ち上がって、イエスに従った。(マタイ九・九)
目で見るということは大切だ。聖書の中には重要な場所で実にしばしばこのことがでてくる。
ペテロの裏切りに際し、それまで動かなかったペテロの心は 「主が振り向いてペテロを見つめられた」(ルカ二二・六一)時、鮮やかになって「彼は、外に出て、激しく泣いた」のである。話を聞く時、相手の目を見るようにと言われる。心にくもりのない者のみが目を見ることができる。精神を集中して他を顧みず、その人に聞き入る人のみ、目を見つめる。話の意味が頭の中のことでなく、人格の全ての勧めとして聞こえてきて把握される。
相手の意図がもっともはっきりと分かる方法である。心と心のつながる瞬間といっていい。
意味だけでなく、情感まで伝わってくる。ペテロはこの場合、裏切りの事実を主によって掘り出されるのである。心のヒダの奥底からである。
信仰を呼び起こす場合もそうであった。主イエスは一二年間も病で悩む女を「見て言われた。『娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。』すると、女はその時から全く直った。」という。(マタイ九・二二)
マタイの献身の場合がそうであった。マタイはイエスの見つめられた目に全てを読みとってイエスに従っていく。人生で一番「重い瞬間」であろう。
「ああ、主のひとみ。まなざしよ」と讃美歌は歌う。どんなに多くの人が、主に見つめられ、主を見つめたか。聖書を読む時、聖霊はその度に私たちを引き上げていく。アウグスチヌスは、「ペテロは実際、主の目を見たのではなかった」という。物理的に見えない筈だというのだ。しかし、おそらくそうであったとしてもペテロの心には現実より深く見えたのだろう。
(一九八三年八月二一日)

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祈りを教えてください

さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」(ルカ一一・一)

有名な主の祈り(マタイ六・九〜一三)を主から引き出した背景となる記事だ。
一この記事は、祈る生活が魅力的であることを教える。イエス・キリストはある所で(いつものように)祈っておられた。弟子たちはじっとそれを見ていた。主はいつも祈られるのである。そこから主の活動のエネルギーが全部出る。私たちが夜休息を取る以上のものである。夜通しかけて祈られ、翌日は人を教え、人をいやされる。祈りは不可能を可能とし、天の父の御手をさえ動かす。主の祈る姿を見、それらのことを考えあわせて弟子たちは思わず「私たちにも祈りを教えてください。」と言った。二この記事は、力強い働きをする人がみな祈りの人であることを教える。主の道を先駆ける者、バプテスマのヨハネは、荒野でいなごと野蜜を食らい、らくだの毛衣をまとって時代の人々に向かって言った。彼には、主のように奇跡を行なわなかったが、人を悔い改めに導き、人生を変えさせる力があった。そのことを思い合わせて、弟子たちは「ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」と言った。
三よき信者は何よりもまず、祈りの生活を渇望する。霊的な生活に飢え渇く。どんなにこの世のものに満ち足りていても、霊の実にはかなわないことに気づき出す。まず神の国と神の義を求めて、全てのものはそれに添えて与えられるという順序が分かり出す。それがここで分かる。
(一九八八年八月二一日)

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大きなこと

及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。
(詩篇一三一・一b)

近世における「宣教」の父、バプテストのウイリアム・ケアリーは、主にあって大きな事を計画し、それを成し遂げるようにと言った。
まことにビジョンのない民はほろびる。私たちの性格は不信仰であるばかりか、安全主義でどうしても縮小指向である。
私は自信を持って大きな事を考えられる伝道者たちが羨ましい。キャンプの時の早朝祈祷会の時に特にそう感じた。
では一体どのように大きな事が考えられるのか。どのように考えられるのか。これを思いめぐらしていたその週の内にこの詩篇の一三一篇を与えられ、ヒントを頂いた思いであった。
この詩篇の記者はただでかい事を考えていない。それは高ぶりにつながるからだ。彼は及びもつかない大きな事を考えているわけではない。信仰の裏打ちがあるのである。
興奮して大きな事を考え口走るのではなく、神様の前に和らぎと共に確信を頂いている
ようである。
彼は実に上手な表現をする。乳離れした子が母親の前に居るように、私のたましいは乳離れした子のように御前に居ります・・・と。
乳離れしたとは言うものの一人で生きているというわけではない。きちんとした、折りにかなった助けを常に期待しつつ、独り立ちを目指すのである。
独り立ちするというにはおこがましく、しかし、独り立ちしてないとも言えない。ここに神の前で高ぶらないで大きな事をなす主の働き人のコツを見る。
そういえばケアリーは「主にあって大きな事を夢見るように」と言ったのであった。
自分は主にあってペテロの如く無学の唯人である。そう思ったら勇気がなんだか湧いてきた。
(一九九三年八月二二日)

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喜びと自由のある人生

ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。( ルカ一九・六)
 

誰でも知っているザアカイの話。この話で心を打たれるのはザアカイの喜びである。彼は取税人のかしらで金持ちだったが、喜びとは縁のない人物だ。 人にも憎まれたのだろう。
彼はおぼろげな目標ながら永遠の生命を求めていたものと思われる。
ところが彼のもとに突然喜びがやって来た。彼は自分の生涯に希望の星となる筈のイエスを自分の側から見ようとしていたのに、主が彼の家に泊ろうとされたのである。まず神の側より愛されていたのだ。そこにザアカイの喜びの源がある。
喜びは実を実らす。御霊の実は愛、喜び、平安・・・とパウロがガラテヤ書で述べているように、彼の心にある喜びはあの役人も躊躇した。(一八・二三)財産の放棄をあえて可能にしたのであった。彼は堂々と証しして言った。「 主よ、ごらん下さい。・・・ 」と。
財産の半分を貧しい人たちのために施し、だましとった分は四倍にして返す。これは律法で定められた償い以上のものである。(レビ六・五、民数記五・七によれば五分の一をたして返せばよい)喜びから来る実は律法を行なって余りあるものだ。
これが救いである。「きょう、救いがこの家に来ました。」とイエスが宣言されます。
(ルカ一九・九)救いのしるしは喜びであり、喜びの生涯は律法からの自由を生み出すのだ。
律法に縛られて身動きのとれなかった人が、律法の要求を満たして余りある生涯を送れるとは・・・。あのルカ一八章一八節にある役人は真面目に律法に取り組み人生の究極のギモンに体当たりした。しかし、彼は自分でやろうとしたのだ。神に身を任せない。ザアカイの場合は本当に、神の救いは福音であり、自由に提供されたものであったのだ。
(一九八七年八月二三日)
 

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