|
聖書の中の「しかし」という言葉は、そのあとに必ず大きな恵みが伴ってくると言う。
人生が並の移り変わり方をする時はまだいい。しかし万能の主がその人生に介入される時、それは異なる様相を呈してくる。
上り坂だったのに「しかし」・・・。あんなに元気だったのに「しかし」・・・。
人生は明日が分からない。
しかし、私たちが一度キリストにあるなら話は違う。私たちの人生は神が介入されることによって一段と光を放つ。「しかし」とあるように、全く思いがけない映像がそこに姿をあらわして来る。
線の細い子どもであった私を見て、祖父は「この子の生命は二〇年であろう。」と予言した。それ以上は生きられまいと言うのだ。
神学校を卒業する年、腰の骨と腎臓を一度にやられ、神学校をやめて入院生活を始めた私は二〇才だったので、予言は当たったのではないかと真実にそう思った。
ローマ書八章二八節を見て、神は全ての事を相働かせて益として下さるという言葉を確認しても、「自分はそこにある人々の様に、神を十分に愛しているとは言えない。まして神の御計画の中を歩む者ではないと思う。」と一時は随分と苦悶したものである。
しかし、「しかし」である。それこそ福音であり、恵みである。自分が神を愛している者であるとの確信へと導いて下さった。沢山かどうか分からない。しかし、神と神にあって歩む人々を愛している事が分かってきたのである。
神の霊に照らし出された「しかし」は、私たちの目をも開く。神を愛する人のためには不幸をも幸いに変えて頂ける。
(1996年6月30日)
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
(ローマ12章15節)
ローマ人への手紙の一二章は、その一、二節が適切な勧めであるのでよく引用するが、この章全体の、具体的で適切な内容を忘れがちではあるまいか。
パウロという人は、実に、教理を実践と共に教えることにすぐれた人だと思う。彼が実践的なことを言う時には、何故なのかということを教理でしっかり説明する。だから教理はわかりやすく、実際的な部分は納得して受けとりやすいのである。
この章には、キリストによって新しくされた人々の集まりは教会であること、教会は礼拝をお捧げする集まり(その人々)であること、その礼拝とは何か、ということが具体的に書かれている。
勿論、礼拝は第一義的には皆で集まってする、あのいわゆる礼拝である。しかし、日々これ礼拝であることを忘れてはいけない。実践的礼拝が、この章にはあふれるごとくに書いてある。実際、ここに書かれている行為がその週の歩みにともなってこない聖日礼拝は無意味と言わざるを得ないであろう。
例えば、冒頭にあげた「喜ぶ者といっしょに喜び・・・」ということである。これはクリスチャンの香りを最もよく表わす句である。
後半は「泣く者といっしょに泣きなさい。」と出てくる。人間は、他人の不幸を見て、貰い泣きをするという場面にでくわし、よく泣くものだ。だがこれより難しいのが他人の幸福を共に喜ぶことである。こちらこそ難しい。
本当に心から人の幸福を喜べるには、思想的な同意が必要ということであろう。その幸
福に同意できなければならないということであろう。
だから、私たちの体をキリストが十字架にかかられたように投げ出してかからないと、他人の幸福は喜べないものなのである。
(1990年7月1日)
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
私たちのためにとりなしてくださいます。
(ローマ8章26節)
この言葉の中には、どのように祈ったらよいか分からない人間の姿が出て来ます。弟子たちの祈る事を教えて下さいという願いに対して、イエス様が「祈るときには、こう言いなさい。」とおっしゃって祈り方を教えているところがあります。(ルカ一一・二)
共観福音書によれば、教えて下さった主の祈りの始めは「天にいます私たちの父よ」となっております。
普通は、ここは宛名なので意味がないように見えるかもしれません。しかし、それは間違いなのです。ここにも教えがあるのです。天にいます父のみが、祈りを真に聞かれる方であること。また、天にいますこの唯一の神が、守りと助けを求める「私たち」のために居られるのだという、大変力強い始まりなのです。
祈りは、この父への呼びかけから始まります。私たちが何と言って祈ったらよいか分からない時、まず「天の父よ」、「我らの父よ」と呼びかける時に御霊のとりなしにより大きな助けが始まります。
昔、南極探検隊と交信が始まった時、ある新婚の妻が夫にたった三文字の通信をしたそうです。これが日本語での最も短い電信文だそうです。それは「アナタ」という呼びかけだったそうです。それは信頼と愛情のかたまりのようでした。たった三文字が多くを雄弁に伝えたのです。
私たちも「父よ」と呼びかける以外に、いくら言葉をもって教えられても、真実祈れない時があるものです。でも万感こめて「父よ」と言う時、それを御霊がとりなし、分かってもらえるのだと知れば、どんなに深く慰められる事でしょうか。
(1995年7月2日)
ダビデがまだ王として下積みの頃、アマレク人と戦った。ペリシテ人の王に表面上は仕え、彼らと共に参戦しようとしたが、果たせず帰ってみると自分たちの基地は焼かれ、家族の者たちは捕らえられて行った後であった。六百人のイスラエル軍の中には動揺が起こったが、神に伺いをたて確信を持ったダビデは、疲れ切った彼らを連れ、戦いをいどみ大
勝利を収めた。
ただ、途中でこういうことがあった。真底疲れ切って戦えなくなったその家来のうちの二百人は途中に残し、四百人で戦ったのであった。(第一サムエル三〇・九〜一〇)
勝利した仲間を迎えた二百人に対して、戦った者たちの態度は冷たかった。ダビデはさすが丁寧に安否を気づかうのであるが(二一)、意地の悪い、心の曲がった者たちは、分捕り物は分けてやらない。子供や家族だけ連れて帰れと言う。これに対してダビデは言う。荷物番をした者も戦った者らも分け前は同じだ・・・と。理由は、これらを賜ったのは主だからである。
「その日以来、ダビデはこれをイスラエルのおきてとし、定めとした。今日もそうである。」(二五)
このイスラエルの奇妙な定めには後のイスラエルである教会の本質につながる意味がある。新約聖書では教会をキリストを頭とする手、足、体であると表現している。重要な戦いの武器をにぎる手もあれば、それを動かし、支える体や足もある。救霊の戦いを実際に行う講壇もあれば、講壇を支える信徒、会衆もいる。共に同じ分け前にあずかるわけである。天の御国の戦いに伴う喜びは平等である。天よりの御糧であるマナは多く集めた者にも少なく集めたものにも不足することなく、
余ることもなかった。全て力に応じて報いられたのである。神の人ダビデの決断は神の心を心とした結果のものだったのだ。
教会で陰にあって荷を守っている人々を思いやろう。
(1987年7月5日)
キリストが私をお遣わしになったのは、・・・福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。 (第一コリント1章17節)
パウロはこの聖句のすぐあとで、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(一八)と言っていますが、これは事実です。十字架につけられたキリストこそは、実に福音の中心であります。クリスチャンのすべての宝はここに集中します。恵みはそこから溢れます。クリスチャンも、さまざまな世のわずらいの中でしばしば他のものに目がいくこともあり、伝道をするにあたっても、人の知恵や言葉でそれをやろうとすることもありますが、そんな中で時々、十字架のキリストを伝えなければ空しいということをしみじみと感じさせられることがあります。この
二章一〜二節などのパウロの経験は、そのような時であったのでしょう。しかし「十字架」を語るとはどういうことでしょうか。
アメリカに行った時、説教しながらいつも感じたことは、十字架の上で・・・キリストは死なれた・・・私たちの罪のために・・・という言葉を口に出すと、きまって大きな「アーメン」が会衆の口から聞かれ、反応が大いにあったということでした。そして「あの人の説教は駄目だ。十字架という言葉の出方が少ない。」という非難もよく聞きました。
十字架を連呼することは、必ずしも十字架を伝えたことにはならないのです。あらゆるまじめな説教がキリストの十字架を空しくしない方向に誠実に語られたら、やはり十字架のメッセージと言えるのではないでしょうか。十字架上でのキリストの贖いが、私たちを生かしている事実の上に、全聖書を説くことが必要ではないでしょうか。
(1980年6月8日)
私はいつも、私の前に主を置いた。
(詩篇16篇8節)
詩篇の一六篇はダビデの信仰告白、主に対する信頼の固さを歌った詩です。嘆きのかげりが見えないわけではないが、全体としてそれを乗り越えた素晴らしい信仰が見えます。その中心である五〜八節を見てみましょう。
まず第一に、主は私へのゆずりの地所であり、杯だと言っています。受くべき財産であり、運命であるというのです。神こそ偉大な財産。信仰の大きな者には大いなる財産、小さき信仰には小さくしか見えない財産です。杯は時に溢れる恵みの運命であり、飲むに躊躇する苦き杯である時もありますが、主と私たちは運命共同体なのであります。
次に測り綱は、私の好む所に落ちた(六)とあります。神が測って下さると約束された。
喜ぶ者と共に喜び
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
(ローマ一二・一五)
ローマ人への手紙の一二章は、その一、二節が適切な勧めであるのでよく引用するが、よき地は、私の好む所であるというのです。よきも悪しきも「よき物」として受け止め得ることこそ主への良き従順です。良き礼拝です。
この確信はどこから来るか。それは神と向き合う所からです。ダビデはこう言います。
「私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主を置いた。・・・」と。私の心が私に教えるという「私の心」とは、欄外注によれば言語では腎臓のことである。ユダヤ人は内臓を奥底にあるもの、つまり、心であると考えたのでしょう。心底のものが自分に言って聞かせる・・・つまり、これは確信以外の何ものでもありません。信仰者の確信は自分の前に主を置き、主のみと向
き合い、自分を探る時にのみやってきます。
そのことをダビデは、「主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」と表現しているのです。
その確信の結果は、喜びであり、楽しみであり、そして平安なのです。
(八、九)
(1985年7月7日)
聖書の次によく読まれたと言われる書物に、トマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」という有名な本があります。これを読んで心の慰めを信仰の中に再発見した人も少なくないはずです。
「人間はみな生まれついて物を知りたいと思うが、神を畏れない知識がなんの役に立つだろうか。」 こう言って神に仕えるいやしい田舎の男を、天体の運行を知り尽くしている誇り高い哲学者にまさるとしています。
この「知る」ということは、何もこの世の知識に限りません。人間はその人のすみずみまで知って愛せるものではなく、多くは暖かく包む必要があります。愛は全てをおおうとパウロが言いましたように、人と人との関係の秘訣がここにあります。
「あなたの知識が増し、優れたものになるにつれて、清い生活を送ってゆかねば、それだけあなたはきびしい裁きを受けよう。」 人間の基本は自分自身を知ることだ、とはギリシャの賢人が早くも見抜いたところでした。聖書は自らの罪を神の前で認めることの価値を教えています。自分の罪を悟るあの柔らかい心は、だが不思議にもこの世の知識、地
位や名誉が増すと失われ、また邪魔になり不要になっていくものです。
「自分自身を真に知りわけ、軽視するのが、もっとも高く有益な教えである。」 自分自身をつまらぬものと評価し、他人をいつも高く思いなすということは、戦争のような今の時代にはふさわしからぬことのようですが、もし私たちがキリストの御足跡にならって心の平安を得ようとするならば、これ以上のよい道はないのです。(ピリピ二章)
キリストは高きにましましたが、それを固執なさいませんでした。私たちは、素晴らしい賜物を手を開いてその上にのせ、いつでも神の御意思で働かせるところに聖別し、用いる時、現代にも通用する真のへりくだりを持つことができるのです。
(1984年7月8日)
どこにでもその仲間内だけに通じる言葉というものがある。仲間意識も強まって、それはそれで結構存在理由もあるのに違いない。教会では割に新しい女性の方が「特伝」という言葉をすらりと使っているのを聞き、びっくりしたことがある。「・・兄、・・姉」と兄姉を「さん」代わりに使う習慣、その他、クリスチャンの中にも何か系統みたいなもの
があって面白い。「恵まれた」という言葉もそうした一つである。祝福されたということであるが、物質
的にではなく精神的・霊的喜びを与えられたことを指す。事がうまくいった場合はもちろん祝福だが、この場合うまくいかない場合でも、その真意を信仰的に納得した時にはやはり「恵まれる」わけである。むしろ逆に、外面と反したところに納得できるようなことを見つけた場合、大いに恵まれたと言うべきかも知れない。
私にもそんな経験があって、よく思い出す。二十二才の頃、重病で約二年間入院した。若い、これからという時のこの二年は、今時の十年だろう。早く治りたくて、何にでもすがりたかった。古い福音的信仰の老婦人が、ある神癒を行う牧師の事を紹介してくれて、その牧師がその上に手をおいて祈ってくれたハンカチを持って来てくれた。これを枕の下に置いて寝て、病はサタンの業だから、「サタンよ、退け!」と信仰をもって叱れば治ると熱心に勧めてくれた。
結果は何の変化もなく、自分の信仰の足りなさに深く頭をたれた。
ある時、ローマ人への手紙八章二八節の「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」を読んで恵まれた。戸がパッと開いて、病が癒されないまま、納得して主にすがったのだ。今、不治の病いは小康を保っている。
(1989年7月9日)
神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
(第一ヨハネ五・三)
小学校の時代、テストを受けていて最も不思議だと思ったのは国語のテストでした。「次の単語の意味を書け」というようなものでしたが、私には他のどんな説明よりも、そのままの方がよっぽどはっきりとそのものを伝えていると思い、不思議でならなかったのです。
学年が進んでから、「忙しい」とはどういう意味ですか、と聞かれて、 「忙しいことです」と答えるのは何の意味もないことに気づきました。それからは「忙しい」とは「やることが多くて、手がまわらない事」ですとか何とか書いたものです。
私の間違いは全くの間違いではありません。しかし、これでは真実からはるかに遠かったのです。どうしてでしょう。私は言葉だけで考えていて、体験で意味を見つけなかったからです。
「神を愛するとは、神の命令を守ることです。・・・」神の命令とは律法のことです。
自分らの生活に何やかんや文句をつけられることは、人間にとってうるさく、不自由なことに違いありません。しかし、我が子や家庭を愛する主婦たちは、あれだけの仕事を何も言わずにやっております。楽しくさえあるようです。愛するということは、それによる束縛をあえて負うことであります。「その命令は重荷ですらない」のです。
愛の使徒ヨハネはその愛の書で、愛の最も偉大な解釈を施したのでした。「愛とは神の命令を守ることであり、しかもその負った重荷を重いと感じないことだ」というのです。
最も単純な言葉による雄大な説明ではありませんか。愛が彼自身を感動させています。
(1995年7月9日)
たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。
(ヤコブ2章26節)
詩篇一一九篇を読み終わって、摂理の中に私の目のとまった書は新約聖書の中で問題の書と言われるヤコブの手紙であった。
ところどころ感銘深い勧めが散在し、魅力溢れる書だが、古来問題も多い。
有名な話だが聖書の目録が最初に史上にあらわれるのは「ムラトリ断片」であるが、残念ながらその目録にヤコブ書の名はない。
有名な教父であるテルトリアヌスは、三世紀半ばの人で、聖書から多くの引用をしている。新約聖書からは実に七、二五八回引用するのだがヤコブ書からは一回もない。
決定打は宗教改革者マルチン・ルターの言葉である。彼はこの手紙を「ワラの書」と呼んではばからなかった。
彼は、キリストを高く賛美するヨハネ伝、パウロのローマ、ガラテヤ、エペソ、そしてペテロの第一書などを高く評価するが、キリストの名が二回しか出て来ない本書をヘブル書、ユダ書、黙示録などと共に価値なきものと見た。
せめてもの事だが「他の人が高く評価するのは構わない。」と言っている。
先日、私をキリストに導いた友人(すでに天国にある)の老御両親に会った。敬虔なクリスチャンである。御主人は九〇才近くにおなりのシメオンとアンナの様な夫婦で、伺った時も私のために祈って下さった。
このお母さんがヤコブの手紙を感心し、賞賛しておられた。
主に近くなった人には、主にお会いする用意を考えて、この気高い目標の書に愛着を感じるものの様だ。この偉大なる孤児にキチンとした戸籍を与えられたらと大それた願いを持っている。
(1993年7月11日)