主の小道
 
 
6月17日〜6月26日


私たちの礼拝と定めの実行

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
(コロサイ三・一六)

バプテストの礼拝の理想と実践について、それを歴史の上で調べようとすると、それは彼らの歴史を語るように、はたと困ってしまう。
彼らは始終分離派だったがために、その賛美と礼拝は素朴な形を示したに違いない。しかし、彼らが頼ったのはいつも聖書であったので、形はどうであれ、持つところの精神はよく分かる気がする。
その時々宗派に影響されながら、礼拝と賛美において彼ら独自のものを作り上げたであろう。
英国国教会から分離したバプテスト教会の場合では、第二ロンドン信仰告白はこう言っている。その二二・一にはこうある。「しかも、真の神を礼拝する正しい方法は、神自らがこれを定め、啓示したもうた御心によってこれを制限したもうた。従って、神は人間の想像や工夫、悪魔の示唆などにしたがい、目に見える表現、その他、聖書に定められていない方法の下で礼拝すべきではない」。
そして二二・五では、「聖書を読み、説教をし、御言葉を聞き、詩篇や讃美歌や霊の歌を心から美しく主に歌いつつ、互いに教え、勧めること、バプテスマや主の晩餐を執行することは、みな神にささげる宗教的礼拝の要素である」。そしてコロサイ書の三章一六節などが参照聖句として引いてあるのである。
ここで分かることは、賛美することは礼拝の大切な部分であり、ただの歌ではない事、そしてその時々の世的な教会の影響も少なからず、あるということである。
(一九九六年六月九日)

 
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信仰不足の弱さ

その時私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」
(詩篇七七・一〇)

私たちの人生に難しい局面が来ることがある。人生は苦しみも楽しみもたがいちがいにやって来て、じっと待っていればやがて陽のさす時も必ずあるのだが、わざわいの過ぎさるまではなんじの翼のかげを避所とせん・・・と言い切るには強い信仰が要る。
この詩篇の記者は昔の日々のよかった時代を思い起こし、歌を歌ったその歌を思い返してみるが現状が変わらないので、神さまが自分を拒んでいるように感じ、その愛はとざされ、主の恵みが絶たれたと感じてしまう(七〜九)。だからこそ困難な時と呼ぶわけなのに、いつの間にか目が、ペテロのように主を見つめずあらしと波に向いて、人生の海のあらしに沈んでしまう。
その時、私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる」・・と。
神さまは常に変わることはない。約束されたことをお忘れになることはない(ローマ八二八)。御自分の聖徒たちを孤児とし、失望に終わらせることはない。私たちが苦しみに会うのは、しばしば罪のためのバツであり、人本来の弱さの故であり、弱い人間を恵みのうちに成長させる愛のムチであることを知らなくてはならない。神はいないとか、神の助けの右の手が変わるとかいうことはなくて、むしろその時こそ神を思いおこすべきであろう。
イスラエル人の父ヤコブは青年時代、失意の旅の途中石をまくらにして寝た時、天の御使いが天と地の間を上り下りするのを見て慰められた。主は変わらない。失意のドン底のここに神はいます。神の助けの右の手に変わりはない、と信ずるこのことこそ信仰なのだと思う。だから苦しい時しか信仰は分からない。
(一九八四年六月一〇日)
 
 

 

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何もないことの恵み

すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。(ルカ一五・二八)

何度読んでもルカ伝の放蕩息子の話は興味深い(一一〜三二)。
一体ここの主人公は誰なのであろう。読む人が誰でもそう思うであろうし、思われて来たのは何と、主人公は父の心を最も痛ませた弟の方である。
がしかし、ふと見るとこのおこってふくれている兄の姿の中に私たちのもう一つの普段着の自分の姿を見ておどろく。
立派な親孝行者が偉いのではなくて、親不孝を心から認めた者が神より祝されるのだと分かって、かっさいを送る。福音はすばらしいと思う。
それと同時に(一方では福音を賛美しながら)神に祝されて(三一)その保護の中にいる時、その恵みがわからないのも私たちである。
居なくなっていた弟が見つかった喜び、そのために楽しんで祝う喜び。その時待遇が兄と違って全く不当のように見える時、これを喜んでやれない私たちの現実・・・。
驚いたことだがこれも一つの現実としかいいようがない。
私たちの信仰の試練は大波やあらしのような体験の中にだけあるように思う人がいるかもしれないが、どうもそうではないらしい。
平凡な毎日を送りコツコツとやっているクリスチャン。ドラマチックなことが何もない毎日、それも時に不当なばかりの痛みが自分に降ってくる経験をする時に、私共はなんと「父親なる神につぶやく」のである。父はこの兄を「いろいろなだめた」とある。お父さんは大変だ。
父なる神は言われる。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだと(三一)。弟息子のドラマチックな愛され方とは違うが、これもまた何たる恵みか。時にこんなことも分からなくなる。
(一九九〇年六月一〇日)
 
 

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福音に生きた人

確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
(第二テモテ三・一七)

パウロの生き方がはっきり出ている聖句だと思う。自分が苦労している事が単なる苦労ではなくて迫害だ、とはっきり言っている。これは彼の意識の中に自分はキリストのために生きているのだという思いがはっきりしている、積極的生き方をしている証拠であろう。
主も言われたことがあるように、私共はこの世にあって患難が多い。平穏無事に過ごしているように見えて人には苦労や悩みがつきものである。しかし何を着ようか、何を飲もうかから始まってわれわれの苦労にはいくつもの段階がある。もちろん飲食は大切なことであろう。その飲食がただ神の栄光をあらわす様になされる時、クリスチャンは全領域において福音のために生きる事になる。何をしていてもそれをして神をあがめる目的を果たしているものは、その苦労の中に福音をはばもうとするサタンの働きを見るのである。
先週の聖日頃まで約二週間、非常に忙しく体はほとんど限界を越す程に疲れていた。私の場合、午後のひととき、たとえ三〇分でも休みをとれないとすぐあとにきいてくるという弱さがあるので祈りを必要とする。その事をあるこの世の知人に話したら、忙しくなくなったらおしまいだ、とポツンと言われた。定年になったばかりの公務員だった人で妙に実感がこもっている。そこでふと気づいた。これは恵みだと。
ただ忙しいだけでそれは必ず意義のあることとは言えないが、その忙しさに負けてはならぬ。仕事の一つ一つに主に仕える気持ちと祈りがあれば、打ち負かそうとするサタンの力と共に主の助けも分かると思う。主にあって生きるのは素晴らしい。
(一九八九年六月一一日)
 

 

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反対があっても

大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。(使徒二八・三一)

大胆に神の国を宣べ伝えたとは羨ましい限りです。使徒の働きのこの場の主人公パウロの姿です。
「少しも妨げられることなく」と書かれてありますが「スムーズ」に事が運んだということではありません。
反対があっても・・・ということです。勝利というものは反対や戦いを貫いて獲得するものです。パウロは立派に言ってのけました。
「私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神の言葉は、つながれてはいません」(第二テモテ二・九)
戦いはある。逆らう者もいるのです。ですが、福音は語られます。「少しも妨げられることなく・・・」とは何とすごいことでしょうか。
そこに「大胆に」という言葉が出てくるのです。
今のこのような時代にあっては宗教ブームとはいえ、偽キリストに人気はあってもキリストの十字架の福音は馬鹿にされるのです。
神が支配される神の国、すべての人がその前にひざまづく「主」イエス・キリストのことを語るとなると「大胆さ」を必要とします。
パウロ先生の例を見ますとすばらしい事には「神の言葉はつながれてはいない・・・」のです。彼は犯罪者のようにつながれ、自由をうばわれました。
福音のため、苦しみをうけたのであります。
しかし、神の言葉を語る業までもしばり上げる事は出来なかったのです。
神は福音の使者に必ず「大胆さ」を与えられるのです。
(一九九三年六月一三日)
 

 

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幼子に現わす真理

・・これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。(ルカ一〇・二一)

イエスの言葉です。主イエスは、「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこにはいることはできません」とも言われました。幼子の目とは一体どういうものでしょうか。素直な目です。
最近では若い娘が甘い言葉にのせられて誘かいされて問題になっていますが、もともとは幼い子がえじきになるのが普通です。物事を総合的に判断ができないのでひっかかるわけです。無防備なのです。全体的にバランスのとれた考え方ができるということは大人なのであって、それが強さなのです。その点で幼子は弱いと言えるでしょう。しかし、それにもかかわらず、幼子には大きな強みがあるのです。素直さです。
賢い者や知恵のある者は総合的に物を考えられるという点で大人の代表と言えます。しかし、しばしば木を見て森を見ずというか、あまりによく知りすぎているためにそこに心が奪われて全体をあるがままに単純に見てとることができない。先入観にとらわれて事実を事実としてとらえることができないのです。裸の王様の話はわたしたちにこの子供の素直さをよく表現してくれます。
イエス・キリストが神であることは大人や学者には見えないかも知れない。しかし、素直にキリストを見、その言葉を聞き、ありのままの世界の動きと照らし合わせる時、神の主権とサタンの敗北、神の子らの永遠の栄光は一目瞭然に分かるというのです。このようにして神を知ることは神のみこころであり、また神の知恵でもあるのです。
物事を正しく判断するすべも知らない単純さではなく、素直に神の見える目が大切です。
(一九八〇年六月一五日)

 
 

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生きる気力−神の意志

それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えて下さい。(詩篇九〇・一二)

この頃夫婦そろって体が痛いことが多くなった。私はいつの頃からか体のどこかが痛くないことはなく、痛みとはなれ親しんで生涯を過して来た感じであるけれども家内の方は健康そのものでこの頃の不調は実に辛いらしい。二人して、いよいよあの聖書の「私たちの齢は七十年健やかであっても八十年・・・」の言葉通り、老いの世代の苦しみをかいま見せていただく年になったのかななどと話し合っている。今日も区民検診に出かけたのだが、こんなものは今まで話し合って出かけるようなものでもなかったのに。
しかし考えて見ればよく生きたものだとも思う。祖父からは成人するまでは生きられないだろうと予言された未熟児。体中傷だらけ、欠かんだらけで二度は確実に死にはぐった身である。痛い体もがまんでき、外見は丈夫そのもの、仕事も半人前以上はやれているだろうと自負している。これは一体何なのか。
一人きりでこのことを考える時この精一杯生きている身体の生命がいとおしい。胸に手をあてて心臓の音を手で感じれば、けな気にもまだ力強くこちらにひびいてくる。何度消えかけたかこの生命の火。あの煙れる灯のようにかすかなまたたきとなった時もよく最後の日数を数えたものだったと思い出した。今までの毎日はあの日のようなのだ。この生命の車輪をまわす重さについて自分のやる気と神さまの御意志とそして体を動かす実際的な重さとで相談しながら生きて来たのだ。
本当によかった。私に与えられた神による知恵の心は特にこのように「生きる気力」に関係があった。生きるということは私にとってキリストの御意志以外にはないとあの時も思ったのだった。今日もやはり安心である。
(一九八五年六月一六日)

 
 

 
 

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説教することも聞く事も

聖書を読み、説教し、御言葉を聞き、詩篇や讃美歌や霊の歌を心から美しく主に歌いつつ、互いに教え、勧めること・・・
(第二ロンドン二二・五)

教会が公的に定めている礼拝はクリスチャン達により、誠実に守られるべきである。そこでは昔、旧約の祭司たちが畏る畏るいけにえを持って至聖所に入って民のために祈ったようにではなく、今日礼拝に望むものは罪のためにキリストが御自身を捧げて下さった犠牲によって自ら祭司として臆する所なく神に近づけばよいようにされているのである。尊い特権というべきか。
礼拝を構成するのはある特定の人々ではない。一番大切なのは神の言葉を語る説教であると人々は思ってるが、それは扱うものが神の言葉、だからであって、神の前においては語る者も聞く人々も共に礼拝する人々である。
確かにある文筆家が言ったように「私たちが一ヶ月に一編の作品を書くのに精一杯なのに、牧師さんは週数回も説教をする・・・」という驚きの声もある事はある。
年をとってきて改めて説教の難しさに打ちひしがれる思いのする今日この頃ではある。
しかし冒頭の第二ロンドンの一節を見れば分かるように「説教し、御言葉を聞き・・・」となっている。
考えてみると、御言葉を聞き、心から礼拝に参加する事も、説教をする以上に困難な事なのかもしれない。
一週の社会での労苦から離れ神の前に襟を正してぬかづく思いで出る。本当にそのことを考えたら自分らの礼拝姿勢も変わらなくては・・・と思ってしまう。
礼拝堂に入る時は祈り心で入ろう。祈っている人の邪魔をしないように。耳をすまして神の声を聞く準備をしよう。羽織袴で、牧師に謝儀を届けたという明治の頃のクリスチャンの事を考える。
(一九九六年六月一六日)
 

 

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戦いの日に退却する者

エフライムの人々は、矢をつがえて弓を射る者であったが、戦いの日には退却した。
(詩篇七八・九)

「武人が戦いの日に退却する」ほど恥ずかしいことはない。彼はそれだけで存在の意味はないのである。普段いかほどに強そうによそおっていても、強い弓を持っていても駄目だ。武人は戦いの日のためにあるからである。この場合エフラエムの人々は武人として一心に戦おうとしたのかもしれない。しかし、恐らく戦いに勝ち目はなく、退却したのであろう。戦さは主のもの、主が先頭に立って戦われるので、主なる神の祝福のない時、誰もが戦いに破れるのである。
人生の戦いにおいてこのことがあてはまる。人が神の契約を守らず、祝福の道に歩むことを拒み神の力強いみわざ、奇跡を忘れて歩むとき、その人にどんな才能や賜物があろうとも、かんじんの戦いの日に破れ去るのだ。罪を犯し、逆らい、己の欲するままを行ない、神を試みる彼らは、神の偉大な力をすっかり忘れることになるのだ。こういう人たちの戦いに破れる理由は、ただ敵より弱いだけでなく、神の怒りによって、神に打たれるのである。「これは、彼らが神を信ぜず、御救いに信頼しなかったからである」(二二)。
神の偉大さはこの民に対する忍耐である。約束に忠実であられる神は、「上の雲に命じて天の戸を開き、食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられ・・人々は御使いのパンを食べる」。しかも「(それを)神は飽きるほど食物を送られる。
」それに対する人間側の反応は不信仰であった。愛のシーソーゲームは常に神の勝ちである。しかし、あわれみ深い神は、彼らを赦し、怒りを押さえ、憤りをひかえられる。人間の弱さに心を留めて下さる。神と正しい関係に入り、戦いの日に戦いに勝とう。
(一九八四年六月一七日)

 
 
 
 

 

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負いやすいくびき

わたしのくびきは負いやすく・・・。
(マタイ一一・三〇)

「負いやすく」は原語では「よくからだに合って快適なこと」を表わすそうだ。
くびきとは人が牛や馬を御するのに用いる物であるが、それは気ままに歩む者にとっては束縛であり、邪魔物以外の何ものでもないが、主人の心に従う者にとっては必要なもの、願わしいものである。
私たちが主のもとに行くときに、くびきがよくからだに合うようになる経験をする。人は心のおもむくままに悪を行なうともあるが、そのようにしていて心地よくはない。欲のため必要以上のものを求めてあくせくし、人生に疲れ果ててしまうこともあり得る。主のもとに来ると自分自身にふさわしいくびきを見出し、そのくびきの一部を主が負っていて下さる、そのようなくびきであることに気づくのである。
十字架を負って我に従えという言葉も似たような主旨の部分もあるが、亡くなった恩師が説教の中で言っておられたことを思い出す。人にはそれぞれ負うべき十字架があるが、大てい自分のはいやで他人のがよく見える。目移りしてあちこちとりかえてみるがいづれも体に合わぬ。最後にピッタリしたのにお目にかかるとそれが、最初すてた十字架なんだよ、と。
自分勝手なことをしていてくびきにたえがたい時、主イエスのもとに行けば負うべき重荷をあらためて示されるのである。何をすてるか、何をとるか。その選択を主にあって自分でする事になる。
主イエスはガリラヤ地方随一のくびき作りの名人で人々はそれを買いに全国から集まったと伝説にある。我々は値段は高いが足にあわない靴をはいて歩いているようなもの。主を見出すと負うべきものを示され、それを負い、そして魂に休みを得る。
(一九九〇年六月一七日)
 

 
 
 

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