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第9回目
しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
(マタイ二八・一六〜一七)
これは主の弟子たちが世界宣教の大命令を受けた場面であります。日本の教会では礼拝と伝道とを分けて考えることが多いようです。これにはいくつかの事情もあるでしょうが本当の礼拝は非常に宣教的といっていいのだと思います。回心者への招きのあるなしにかかわらず、礼拝はつまり伝道に直結しているべきです。
弟子たちはイエスの命じられた山へと登ります。これは示唆にとんだ言葉だと思いますが、主は礼拝においてはっきりした要求をお持ちです。どこで、どのような方法で礼拝するかは私たちの勝手ではないのです。
彼らはイエスにそこでお会いし、その時、礼拝をします。黙示録でヨハネの言う通り、ほふられたと見える子羊こそ、私たちの礼拝の唯一の源泉であり、目的、対象であります。
興味のあることは、「しかし、ある者は疑った」という言葉です。礼拝は信仰と不信仰の戦いの場でもあります。マルコ一六・一一によれば彼らが疑ったのは主の復活です。教会の主たる目的は主の復活の証人となり、それを宣言することです。相手には信じる者あり、疑う者ありです。我々自信の信仰も実はこのことにかかっているわけですから同じことです。
さて、こうした時に主の世界宣教の大命令が下命されるのです。礼拝の場での緊張した戦いはそのまま地の極に直結するわけです。伝道の命令と共にある約束と励ましはつまり主が共にいるということ(二〇)ですが、実はこのことこそ礼拝する者の真の願いであった事を思うと、礼拝と宣教は事の表、裏なのです。
(一九八四年三月一八日)
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(第三ヨハネ二)
このヨハネの第三番目の手紙はガイオという人にあてています。キリストを信じているヨハネが同じ主にある兄弟とこの手紙を通じて愛の交わりをしている様子は麗しいかぎりで、教理のような骨組みの部分でなく信仰の肉と血の部分があふれています。しかもその愛は自己中心の愛ではなく、キリスト中心の建設的な愛です。きびしさもあれば励ましもあり一途に天のみ国を目指すものです。
自ら長生きした長老ヨハネは、たましいの幸いこそ全ての幸福の源泉であること、そして健康であり得ることをよく承知しています。愛する主にある兄姉を思うと祈りたくなる、その祈りの中にその人の信仰の内容が実によくあらわれているのは、これはパウロの場合と同じであります。ヨハネはまず主との愛の関係が必要であることを知っています。これなくしてはこの世の幸福はなく、たとえ健康であってもそれがどれほどの価値があることでしょう。
事実この兄弟は祈られるのがあたりまえであるほどに真実の歩みをしています。真実に歩むこの人の姿は大きな証しとなっていたようです。このことがヨハネを喜ばせました。
真理に歩むとは愛を行なうことなのです。(五〜八)
愛の行ないとは無償の行為であって、たとえばここでは旅をしている同労者のもてなしです。疲れた人に心から仕え、彼らを送り出し、どこからも一銭も受け取るべきだと思わない。昔の人はこうして知らぬうちに御使いをお泊めしたといわれますが、さもありなん、これこそはクリスチャンの精神がよくあらわれている奉仕なのです。
(一九八三年三月二〇日)
それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた・・・。(出エジプト記二・二三〜二五)
どんなことにも時がある。イスラエル人がエジプト人の下でその労役に飽き飽きしてたまらなくなり、「住めば都」のエジプトをあとにしたいと心に願う時がやってくる。この時こそ神の時である。「思い起こされた」、「みこころに留められた」とあるがその時まで忘れて居られたわけではない。神の時が来たのだ。
その証拠に神はこの章だけでも分かるように、着々と準備を整えて居られたのである。
ヘブル人の男の子が全て殺される筈の運命の下に、血統の正しいレビ人の子として将来の指導者モーセが生まれる。不思議な摂理のうちにこの子は実の親を乳母としてこのヘブル人の男の子殺しの元凶であるパロ王の娘(最近その墓が発見されたという報道があった)の手で指導者たるにふさわしく当時最高の教育と訓練を受けて育つことになる。しかもそのままパロの子としてとどまるわけではない。時が来ればそこから独立してヘブル人としての意識を持って時期到来の日を待つ環境へと導かれているわけだ。すべてが偶然ではない。
神の時はその支配される人の時でもある。神は一方的に、機械的に時を定めては居られない。そこで活躍する舞台も、その上で動きまわる人間もすべてまるで自分の意志で動いている。自分で決断し行動する。しかし、時が来ると神は自らの御心にある結論を実行していなさるわけだ。それを「思い起こされた」と表現されている。
(一九八二年三月二一日)
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(第一ペテロ五・七)
この第七節とその前の節ほど、何とも言えない慰めに満ちている聖句はない。
どれほど多くの聖徒たちが、聖書のこの箇所に読み至って、困難の真っ只中においてクリスチャンの平安を獲得し、その品性を守り抜いた事であろう。
パウロの確認したクリスチャンの特質の一つは、「逆らうものに驚かされない」という事であった。
ここには二つの慰められる事実が書いてある。
一つは、すべてのことは、神が心配して下さるという事である。私たちの心配はただの思い煩いになるわけだ。先の事が見えないのは人間の常である。何が起きても平気だというほど私たちには度胸がないし、無欲でもない。そういう時、私たちはああでもない、こうでもないと考え、思いは堂々巡りをする。
そうした時に、すべてのことは神が心配して下さるといえることは、真に大きな慰めと言えるだろう。
今一つのことは、よき時は神にあるという事である。ちょうど良い「時」というものは神のみが知って居給うのである。
同じことが起こっても、そのことが何時起こるかによって平凡なことであったり、奇跡であったりする。神は時を知り、そしてその「時」の支配者でもあられる。
われらの主イエスは弟子マリヤに向かって、「無くてならぬものはただ一つ」であるとおっしゃった。
思い煩いとは、その者の思いに中心がない時に起こることである。堂々巡りをするのだ。
「まず神の国とその義とを求めよ。さらば・・・」である。
(一九九二年三月二二日)
こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。(創世記二三・二〇)
最愛の妻サラは一二七年生きた後に死にました。サラに先だたれたアブラハムは「嘆き、泣き」ましたが、そのあとで立ち上がるのです。旧約の聖徒たちによく見られることです。
嘆くだけ嘆きますが、生者は必ず死んでいく人間の有限性の前に決していつまでもくよくよすることはありません。彼には彼の生涯に果たすべき責任が厳然と待ちかまえているからです。
まずサラを葬る場所を獲得しなければなりません。死人を拝むことこそしませんが、その人が一生涯身にまとった体、復活の時に新しい栄光の体としてよみがえる体、神の御摂理の中に生を受けてこの世にあった肉体のなきがらを、主にある聖徒たちは丁重に葬るのであります。葬りの場所を獲得することは重要なことです。それは丁重に葬ることの延長線上にあることです。
しかしここにはそれ以上の意味があったのかも知れない。彼はその地の住人ヘテ人たちに墓地の提供を求めます。彼らは喜んで無償でそれを与えようとすらいたします。しかし、彼ははっきりと自分の望む場所を、しかも金で買った私有の墓地として受け取ることを望むのです。結局ツオハルの子エフロンの畑地の端のマクペラのほら穴を十分な値段で買い取ったのです。
それも明確に町の人の前で値をつけ、支払いをしました。アブラハムは神よりの約束に対して信仰の応答をしながら生きている者であります。そこには誇りがあります。最後まで証しを守りぬく責任があります。彼の身に神の約束が成就した時、あの土地は神からでなく、オレ達がくれてやった物だと言われては証しにならないからです。
(一九八一年三月二二日)
あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。(詩篇四・一)
クリスチャンならその人生において「詩篇」という、聖書のほぼなかほどにある一五〇の各篇がどんな意味を持つか、一言も語れない人はいないであろう。
大部分はダビデ、そしてその他のクリスチャンが霊感を受けて歌った詩であるが、人生が複雑であるように、この詩篇も私たちの霊的生涯のあらゆる場面を扱っている。
心が霊的に高められている時、低い時。平安な時、困難な時。苦しい時、楽しい時、行きづまった時・・・。私たちが出合う、あらゆる状況において詩人たちが神をどのようにとらえ、神に迫り、哀願したか。それがよく分かる。
私たちが人生街道を主と共に歩む時、それは人生に起こり得ることではあるけれども、若すぎたり、あるいは年をとってはいても幸いにして出合うことのなかった人生の岐路にぶつかる。
その時、神は詩篇を通して、自分の今出あっていることは神の前に実はどういう意味を持つのか、どうしたらいいのか、どうなるのか、神のこの件についてのみこころは何なのか。このことを神ご自身の御前でていねいに語ってくださるのである。
そうしたことを通して物事がただちに解決するとはかぎらない。しかし、どんな時にも一つのことだけは期待できる。それは私たちの魂が安らぎに導かれるということである。
私が呼ぶ時、答えて下さい。私の義なる神。あなたは、私の苦しみの時にゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。(四・一)
私の人生にとって、詩篇の持つ恵みの一つはこれである。
(一九九〇年三月二五日)
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。(マタイ六・六)
「祈る」ということは実に全人格的なことでありまして、ある人の信仰生活を知ろうとしたら、その人の祈りの生活や質を見たら良いということになります。信仰というものが全人格にかかわるものでありますから、それはしごく当然のことと言えるのであります。
だから主イエスは弟子たちが祈りを教えてください、といった時にすぐお教えになったのです(ルカ一一・一)。
弟子たちもまたイエスさまに信仰を学ぼうとしていた時、その祈られる姿を見て、これを学ばねばだめだ、と感じて「祈り」を教えて下さいと言ったに違いないのです(同右)。
さて主は、祈りの場所を指定して下さっております。それは自分の奥まった部屋に入るということです。祈りにおいて大切なのは自分が何を見つめているかということです。人はとても弱いものですから何をするにも他人が気になります。他人が気になる時は間違いなく偽善に走るのです。人にどう見られているか気になり、外側をつくろうのです。そこには本当の自分はありません。真実の祈りとはならないのです。
戸を閉めて、隠れた所におられる父なる神に祈る時、人ははじめて自分自身が見えるのです。その罪深い自分の姿が赤裸々になった時、祈りに必要な悔改めと真に祈りに信頼して立ち上がる心とが与えられます。賛美も感謝もそこにつき従ってくるわけです。
この隠れた所で父なる神と対面する時、私たちの祈りが聞かれます。自分の奥まった部屋とは「会堂や通りの四つ角」(五)であってもよいわけです。
(一九八四年三月二五日)
聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう・・・(ユダ三)
「信仰の戦い」とは何でしょか。信仰のために戦うといえば、私たちはふと立派な論陣をはって議論することを思い浮かべます。右記の聖句もそういう意味あいで引用されることがよくあることは事実です。
しかし、このユダの手紙を見てみると戦う相手とは「不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人」(四)なのであります。
したがって戦うのは言葉でではなく、言葉よりももっと力強い、キリストによって真に変えられたものにとってふさわしい聖い行ないだということになります。戦いは相手に対してというよりも、まず第一に自分自身の内面に向かうといっていいでしょう。昔から「自分に厳しい人物は他人には寛容である」と言います。逆に他人のことをとやかく言う人ほど自分にはルーズだとも言えます。しかし、自分にルーズなため何も言えない人もいることも事実なので油断してはなりません。
その戦いの内容は二〇〜二三節に明らかに記してあります。
しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。
だからこの戦いは自ら聖い信仰の中に生きる努力そのものであると言えます。
(一九八三年三月二七日)
金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。(使徒三・六)
キリスト教は、証人の宗教なのです。救いとは何か、一生懸命言葉を並べて見せるが、
いっこうに分からないが一人の人の姿が一切のことを語るという事があるものです。
どこかで読みました。ある男がキリストにとらえられた友人をからかって「君ほどの常識家が、キリストが水をぶどう酒に変えた奇跡を信じるなんてことないよね。」彼の精一杯の答えはこれでした。「実はそんな事どうだっていいのだよ。知って貰いたいことはキリストは私の家でぶどう酒を家具に変えられたということなんだよ」。
友達はもう二度とからかわなかったようです。
キリストを知ることにより、その大酒のみの男はぶどう酒のびんよりも家族の喜ぶ家具類に興味を持ったのです。
これは奇跡の中のキセキであります。全能である創造主の神は人を救う、つまり根本からその人を変え、新しく生まれ変わった者とするのです。
キリスト教伝道者は他の人が単純に喜ぶ金や銀は持たないかも知れません。この世にしか通用しないお金でなく天国で永遠に通用するものがあるのです。
一体私たちがキリストより与えられた金や銀にもまさるものとは何でしょうか。
もし必要ならそうした金や銀を生み出す、体の底からのやる気です。神への感謝にあふれたわき出る力です。それが魂の贖われた結果残るものです。
だからキリスト教は証人の宗教です。神は目に見えないが、その御業の一つ一つは目に見えて明らかです。「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です」。私たちの大きな仕事は救いの事実を証しすることです。
(一九九四年三月二七日)
モーセは・・・神の山ホレブにやって来た。すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
(出エジプト記三・一〜二)
モーセがミデヤンで彼の姑イテロのところで羊を飼って四十年たった後(使七・三〇)のことである。神の山ホレブで神は御使いを通して彼にあらわれた。あらわれたのは柴の中の火の炎であった。火は燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。モーセにとっては不思議に見えた。神の臨在は、御使いを通して現れても被造物を用いても常人の目には不思議であり大いなる光景に見えるものであろう。モーセはここで召され、大きな使命を授けられることになるのである。
モーセはイスラエル史上重要な時期に立つ重要な人物である。神はこの人物をミデヤンの四十年で準備されたのであった。この荒野で過ごした年月、彼はエジプトの高等教育に勝る神ご自身の教育と訓練を受けることになる。華やかな宮殿や高官との交わりを離れ、ただ自然の荒々しさの中で動物と過ごし、静かにモノを考える時、彼は整えられていくのである。年もとっていく。
こうして昔日の肉のおもかげは失せ、神に対する信仰と、自分やイスラエル民族のおかれた立場とを見る時、彼は神に頼る以外何物にもよって立つことはできなくなる。時が来たのだ。そこで神は召されたのである。彼が整えられない限り、柴の燃える光景を大いなる光景と見る目も与えられなかったにちがいない。
彼は足のくつを脱ぐように命ぜられる。主の命に絶対服従を誓わせられるしるしである。
「わたしはあなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と仰せられる。
神に会い、新しい生涯が始まる。
(一九八二年三月二八日)
しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」(ヨハネ四・三二)
説教活動をしていると、どのあたりに焦点をあてて話したらいいか、悩むことがしばしばある。
高校の恩師のクリスチャンの先生に思いあまって相談したこともあった。先生は自分なら上の人に語りかけ、彼らに幼い者を導かせると言われたと憶えている。
昔のNHKの柳田解説員は九割かた易しい話をして一割ほど難しく、なるほどと思わせる話し方がいいのではないかと言ったことがある。
長いこと説教をしてみて今私はこんなことを感じている。
聖書の説教の感動と難易度には又別な要素があるのではないかと。
妙義山での夏期聖書学校で伝道説教をした時のことである。
福音がストレートに語られたようだった。子どもたちに反応があり決心者が多かった。
驚いたことにつきそいでついて来た大人も決心し、それもほとんどが決心したのである。
易しくて馬鹿らしい話し方と思われると思い、しかし、これは子どもたちの集会だからとあえて大人を積み残したつもりだったのが、結果はこの通りなのである。
一つの真理にぶつかった気がした。福音の真理は単純明快なのであると。子どもが恵まれる話しはその場の条件を理解している大人には馬鹿らしいものでもなんでもない。やはり恵みを受けるのだ。
この事に気づいて嬉しかったことを憶えている。
初心者への明確なメッセージは、古参者にも恵みを与えるのだ。
人に糧を与え、救いに導く救霊の福音は大いなる糧なのである。神の御心を行い、その御業を成し遂げることが、私の食物であると主も又おっしゃる。
(一九九三年三月二八日)